『家族』がいちばんの多様性
まさです。
双子のチビたちが誕生して、もうすぐ3ヶ月を迎えようとしています。
食いしん坊の息子は、ついに体重5000gを突破!重たいなぁと感じるようになりました。
すでに男の骨格なのか、それとも筋肉質なのか?赤ちゃんなのに、抱き心地はやや固め。笑
一方おっとりのんびりの娘も、4800gと順調に成長中です^ ^
動きも抱き心地もしなやかで柔らかい?ので、息子に比べてずっと軽く感じる。。。不思議ですね。
仕草もなぜか、息子よりちょっと上品。笑
この違いは個性なのか?性差なのか?
親としては興味深いテーマです(ん、楽しんでますよ。笑)
最近は「あー」とか「うー」とか少しずつしゃべる?ようになっていて、2人の可愛さも倍増。(親バカなのは自覚済みとして)
首はまだ座ってないけど、頼りなかった最初の頃と比べたら、すごくしっかりしたなーと感じます。気になるものがあれば目でしっかり追いますし、あぐらの中に横たわらせていても自分で首の向きくらい変えるようになりました。
お腹が減ったときは、母乳を求めてなつの方をちらっと見つつ、口を動かしたりもします^ ^
僕はそこまで露骨なアピールに出会うことがなく、そこはやっぱりおとうとおかあを区別して認識しているのかなぁと感じます。
結構触れ合ってはいるつもりですが、育休中のなつには及びません。半分は母乳育児をしていますし、おっぱいを与える母親の安心感には当分勝てないのかもしれませんね(@_@)
ふとしたときに、笑顔を見せるようにもなりました。
赤ちゃんが笑うのは、お世話をする大人を惹きつけるため、と聞いたことがありますが、なるほどなぁと思います。笑
あの笑顔はね、ズルいです^ ^;
表現の手段が限られてる赤ちゃんの必殺技って感じですね。
すっかり手玉に取られてるおとうですが、なつが横目にどう見てるかだけがちょっと不安。。。 笑
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「娘の方がかわいい?」
実は最近、よく聞かれる質問です。
逆になつは「息子の方がかわいい?」と聞かれるそうです(@_@)
おぉ答えづらい質問。。。笑
父親にとっての娘、母親にとっての息子、って皆考えるんでしょうか。
正直、性格も仕草も全然違って、可愛いと思えるポイントが違うのは確かです。
そのポイントごとに優劣はもしかしたらつけられるのかもしれませんが、つける意味を全く感じないので、「どっちもかわいい」と答えるようにしています。事実やし。
聞いた側からは平凡な答えなんでしょうけど。。。^ ^;
もちろん、シーンごとにどっちかに注力することは日常茶飯事で、親の時間をチビ2人へ公平に使うことは不可能です。
(ただ合算したら、だいたい同じくらいとは思いますけどね)
「お父さんは僕より◯◯(むすめ)の方が大事なんだ」
「お母さんは私より◆◆(むすこ)の方が大事なんでしょ」
なつとは、将来十分に予想されるこの遣り取りを今から想像しながら、アテレコをして遊ぶ日々です^ ^
そんなことないよ、って答えてあげんとね。
でもきっと双子に限らず、どんな家庭でも上の子と下の子の間で起きうる会話ですよね。
皆、どうやって答えてるんでしょう?
その子にとってはその瞬間、自分が疎かにされていると感じてしまうことは事実なわけで。
「素直でいい子やねー」「いい子にしてたねー」とか『いい子』ってよく言葉として使われますが、その文脈における『いい子』=『親にとって都合のいい子』であることも多いんじゃないかなと最近思ったりもします。
実際こっちがいっぱいいっぱいのときは、大人の手を掛けさせない子が『いい子』になるわけで。あんまりそうならないよう、余白を持っとくことは意識したいなぁ。
特に手が掛からない子ほど、自己主張をあまりしない子ほど(うちのチビたちがまだどうなのかは全然わからないけど)、このあたりのケアだけはちゃんとしようと思うのです。大人から見たら些細なことでも、結構覚えてたりしますから。
あとは、子どもにちゃんと説明することかなぁと思います。
今ちょっと手が離せないなら、いつまで待ってもらえばいいのか。仕事に行かないといけないなら、なぜ行かないといけないのか。食べちゃいけないなら、なぜいけないのか。
それで話がすぐ通じるわけでも無いでしょうが、愛情をかけることってそういうことかなぁと最近考えていて。
自分の中でちゃんと言葉をつくって、少しずつでもチビたちに話していきたいと思っています。
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新聞やツイッター、ネット記事なんかでも、『多様性(ダイバーシティ)』という言葉をよく目にするようになりました。
1人の人が、1つのことをひたすらやって、それで問題が解決できる時代じゃなくなった今、大事なキーワードだなぁと思います。
生活も、働き方も、子育ての方法も。
少し前にYouTubeで公開されたこの動画も、テーマは「教育とダイバーシティ」でした。分かりやすくて面白い動画ですよ^ ^
元和田中の民間校長&「よのなか科」という授業で有名な藤原和博さん、花まる学習会代表の高濱正伸さん、ISAK(全寮制の国際高校)代表の小林りんさん、IOCの河村裕美さんが対談されています。
この中でとても印象深かったのが、花まる学習会代表の高濱さんが「最大の多様性は夫婦!」と断言されていたこと。
僕の経験でも、結婚生活を「異文化との遭遇」みたいに言う人は本当に多いです。笑
これは夫婦に限らず、一緒に誰かと暮らし始める人が全員経験することじゃないかと思いますが。
ただその中でも、いくつものライフイベントを共に過ごす『夫婦』という関係性。それを長く維持すること自体が最大の多様性だという考えは、実際経験してみるとすごく納得がいくものです(@_@)
ぶつかって、話して、折り合って、少しずつ前に進むのが夫婦です。笑
振り返って、たまたまですが男女の双子との4人生活が始まった、まさとなつの家族。
チビたちにとって、出会う人の少ない人生最初の数年は、チビたちお互いが大切なパートナーでありながら、最大の多様性であってほしいなと、親としては思います。
すでに全然違うけど、このまま違って育ってほしい(*^^*)
双子だからできないこともありますが(どうしたって親が相手をする時間は半分ずつになるし)、代わりに滅多に得られないものを持ってるチビたちです。
無いものよりはあるものを見て、自分たちらしく逞しく生きてほしいですね。
さてこの写真、分かるでしょうか?
間違えて、息子の指をおしゃぶり中の娘です。
お互いの区別は、まだまだこれからってとこですね。笑
いちばん最初の多様性が、双子の相方という家族でありますように。
そして良いパートナーと生まれて来たと、思ってくれますように。
今のおとうの願いです。
まさ
いつも誰かが
なつです。
先週は怒涛の1週間でした!
無事にお雛祭りができて、ホッとしています(^-^)
怒涛のスケジュール↓
2月28日→まさの両親が泊まる(義母は4日まで)
3月1日→助産師訪問
3月2日→午前:初・子どもサロン参加
午後:まさの妹家族が遊びに来てくれる
3月3日→義父が再度来てみんなで雛祭り
3月4日→私の姉家族が来る
…てな感じでした。あと、義母にチビを預けながら連日の歯医者通い笑
まさはこの間も、今の仕事して勉強もして、育児もしてくれました。
いつも思うけど、倒れないでね〜(><)
すごいことに、まさの妹の2人目の子も、私の姉の2人目の子も、うちのチビたちと同じ2016年生まれなんです!
従兄弟が同い年×2というステキな家族関係☆
今後遊ぶのが楽しみで仕方がないです笑
義母が「人手がある時に行ってみたら?」ということで、一緒に児童館に行ってきました!
赤ちゃん広場は2階にあるけど建物にエレベーターはないため、双子を抱えた私は入り口にて、早くも「どーしようか…」状態に。
みんなはベビーカーを入り口に置いて、抱っこで連れて行ける。今日は義母がいるからいいけど、私は2人をいっぺんには運べない〜
でも受付に言ったら、今後もチビを運ぶのを手伝ってくれるとのこと(o^^o)
ボランティアさんも親切でした!
ありがたや!
また、まさが帰れないときのために、お風呂も日中に1人で入れる方法も試せました。
これでお風呂を毎日入れられます。
2人とも垢がすごくて、汗疹なので笑
今までまさが帰ってきてから入れてくれていたけど、仕事も忙しいし、ムリしないでいてほしい。
地味に大変だったのが歯医者でして…。義母がいてくれる間に親知らずを治療できました。でも、虫歯がまだまだあるんです(><)
「赤ちゃんいるし、今後はどうしたらいいんだー」と思ってました。義母に「治療中見てくれるんじゃない?人見知りしてない今の方がチャンスよ」と教えてもらい、ダメ元で病院にお願いしたら即OKでした!
つくづく義母に助けられっぱなしですね(๑˃̵ᴗ˂̵)
私は親には「世間は当てにできない(自分でやるしかない)」と教えられましたが、そうでもないことを子どもを産んでから実感しています。
精一杯準備して、それでも予想外のことがあります。でも誰かに「こういう状況なんです。助けて、手伝ってください!」と言ったら、案外誰か来てくれます。
「怒り(いかり)の反対は理解(りかい)」だと何かで読みました。
電車の中のベビーカー、子どもの泣き声、子育て事情がわかれば社会の目はもっとあたたかく、環境は良くなるだろうに。
お互いの事情や気持ちを発信していきたい。
私も困った人センサーを磨いて、助けていきたいです。そして、チビが子供を産んだとき、私も知恵を貸したり手伝ったりしたいです♫←気が早い!
お雛様も即片付けました〜(o^^o)
なつ
まいにちだって人生
まさです。
2月も終わりに近づいてきました。
昨年12月に2300g弱で生まれたおチビたちは、あっという間に大きくなり、すでに倍近い体重(4500gくらい)に成長しています。
倍ですよ、倍。すごくないですか(@_@)
赤ちゃんの成長ってこんなに早いのか。。。と思う一方で、親は毎日一緒にいるので、何となく「ん?重くなったか?」くらいが割とリアルな体感だったりします。
先週末は久しぶりに、チビ2人を授乳クッション(授乳なんかで便利な、浮き輪みたいなやつです)の中に並べてみたのですが、かなりキツキツになっていることが判明。
バタバタしがちな息子を、マイペースに(いやちょっと冷ややかに?)眺める娘からは「ちょっと。狭いんだけど」という声が早くも聞こえてきそうで。笑
2人でちょこんと収まっていた姿は、もう見られないのだなぁと感じました。
1ヶ月前の写真ですら、見返すと明らかに今と大きさが違います。そこからでも1.5倍の成長ですから。
うーん、ちゃんと写真や動画残そう!やっぱり最初に比べると、撮るペースは減るんですよね。今月、雛祭りとお食い初めというイベントで挽回します^ ^
うちのチビたちは小さくてNICUギリギリだったので、親としては成長が素直に嬉しいです。幸いにも、今のところ体調等のトラブルはありません。
授乳も、1ヶ月を超えるまでは必死に『 3 → 6 → 9 → 12 』時(分かりやすい3時間置き)のミルクを意識してたんですが、最近はもう都度の対応。なつも母乳が出ているみたいで間にどんどんあげてるし、チビたちも寝るときは4時間くらい寝ちゃったりもするので、余裕も出てきたというか、適当になってきました。笑
当たり前だけど、チビたちにはチビたちなりのバイオリズムがあるわけで、飲みたいときもあれば、飲めないときも飲みたくないときもあるわけです。だんだんそういうのが分かってきて、一緒に生活できてることを楽しめばいいのかなーと今は思います^ ^
もちろんムラはあるし、思うようにいかなかったりも全然あります。
夜中から明け方までは、基本なつがお世話(本人いわく "夜勤" )をしてくれてるのですが、日によっては交互に泣いて全く寝られなかったり、そうかと思えばめちゃめちゃ寝て「夜中おチビ泣いてなかったよね…?」( ← 泣いてるのに気づかず自分が寝てたのを心配)という日もあったり。
それでもまあ、こっちも2人いれば、何とか1日の中でリズムの調整はできるかなーと。無理せんように、気をつけています。
すっかりチビたちがいることが日常ですが、僕はもう、早よ会話したくなってきました。笑
この前、妹夫婦に出産祝いで積み木をもらったのだけど、さすがに2ヶ月では扱えず。。。ちょっと興味を示したような、示してないような^ ^;
これを一緒に遊べる日はいつになるかな?
話せるようになるのはだいぶ先やなー。
表情がちょっとずつ出てきたり、新しいリアクションを見たりする度に、早くそんな日が来て欲しいなと思います。
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そんな毎日ですが、数日前にTwitterのタイムラインで、ある記事を見つけました。すでにFacebookで4000以上シェアされている記事です(2/27時点)
僕にとっても衝撃は大きかったので、触れておこうと思います。
「たとえ産声があげられなくても、長く生きられなくても、小さな命の輝きは、かけがえのないものだと知ってほしい」
そう始まるこの記事は、日本でも50人に1人以上が死産になるということ、自分が今子どもと居られるのは決して当たり前のものじゃないということを、改めて教えてくれる内容でした。
亡くなった赤ちゃんも陣痛を起こして産むこと、死産の大半が予測できず突発的に起きていることなどは、2児の父親になった自分でも知りませんでした。
「私のようなことは誰にでも起こり得るし、無事に生まれるということは本当に奇跡的なことだと、もっと知ってもらいたい。それが、戸籍にも存在しない息子が、生きた証しになると思う」(文中)
なかなか子どもに恵まれなかった、僕となつ。ようやくの妊娠は、双子というハイリスクのものでした。
子どもが無事生まれて来れない可能性はいつも頭にあったし、何が起きても受け入れようと夫婦で確認もしていました。でも幸いにも無事に生まれて2ヶ月経つと、すっかり過去の悩みになっています。
チビたちが生まれると正直、目の前のことだけでいっぱいいっぱいになるので、これは仕方ないと自分でも思います。
ただ世の中には、人生の長さ1つ取っても(子どもに限らず)色んな場合があるのは、忘れちゃいけないことで。この記事に書かれてる出来事は本当に自分たち夫婦にも十分起こりえたことだったし、『生まれてきてくれただけで感謝』というありきたりの言葉は、いつも覚えておかないとなと、改めて感じました。
むしろ、いっぱいいっぱいな時こそ、必要な言葉かもしれません。
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おチビたちが生まれた昨年、110〜100万人の間を10年推移してきた出生数が、ついに98万人になりました。
僕と同じ1983年生まれ(いま33-34歳)が150万人。わずか6歳年下の1989年生まれ(27-28歳)は124万人。ここから一段と親の人数も減り、再び少子化が加速し始めるのは明らかです。
その一方で、30年前に10%だった高齢化率は25%を突破。2025年には30%、2060年にはほぼ40%と言われています。
世界も注目する『課題先進国』。
そんな中で最近は色んな人が、これまでと全然違う方法で、新しい子育てだったり、仕事だったり、生き方のカタチを実現するようになってきた気がしています。
「ええなぁこのサービス」
「この会社頑張ってほしいな」
って思えるものも増えてきて(ただ首都圏限定だったりして、地方はこれからが頑張りどころというかチャンスなんですけど)、厳しい反面すごく良い時代になってきてるなーとも感じます。
僕もなつも最近は、10年スパンくらいで「こうなりたいよね」って考えるようになりました。
だけど、今日はあえて逆のことをここに書いとく。
今生きてる、この毎日だって人生やんねって。
チビを見ていると、毎日良くわかんないけど(たぶん)しゃべってたり、全力で泣いて表現したり、本当に必死だなーと感じます。
1年しか、数日しか、お腹の中でしか生きられたかった子どもの話は、僕らに何を伝えてくれるのかなって。
30歳を超えてようやく、10年単位でものを考えるようになってきたんだけど、そればっかりやってると『今』が見えなくなっていく気もしています。(トランプ政権をメディアが予測できなかったみたいに)
『今』を全力で生きてるチビたちと毎日を生きながら、その日々がもっと良くなるように、自分の時間を使っていきたいかな。
結局求められるのは、バランス感覚なんでしょうけどね。
迷ったときはチビたちが、おとうとおかあに教えてくれるかなと思ってます^ ^
まさ