この毎日が、ずっと続かないと思ったら。
まさです。
息子や娘、家族のことを夫婦で綴るこのブログも、今回で50記事目になりました!2人で更新してますが僕だけで25記事としても、そんなに書いたか〜と、ちょっと感慨深くなります。
始めたのが2016年の10月、まだおチビたちがお腹の中で、なつは切迫早産で入院するちょっと前です。今思えば、何て落ち着いてた日々。。笑
いやでも、不安だけはめっちゃあったかも。。。初めての子育て、しかも双子で。僕はたぶんまだぜんぜん父親になってなかったけど、お腹の中でドコドコ胎動する2人を感じていたなつは、やっぱり母親になりつつあったなぁと、振り返って思います。
ブログは、出産前後に比べたら随分ペースはおちてますが、今も何とか月に1回くらいをキープ中。今月も4月30日です!ギリギリ!^ ^
(21:00に子どもを寝かしつけつつ寝かしつけられて落ち、今23:00に復活してダッシュで仕上げています。。笑)
これからも、ゆるっとがんばります。
さて毎回書いてる気がしますが、最近も変わらず、1歳児の変化の早さを感じる日々を送っています。
この1ヶ月で息子は、トコトコとあちこち自由に歩く!いやむしろちょっと走ってるやん?という感じになり、ハイハイを一切しなくなりました。(慎重派の娘は、ゆっく〜り歩くのが2割、確実性のある高速ハイハイが8割ですが。。笑)
2人ともほぼ片言ながら最近は次々に言葉を繰り出し、ケタケタと楽しそうに笑っています。「おとうちゃん」ぽいワードをちょこちょこ聞く気もするのですが、まだそこの確信は持てず。。。
今年に入ってから、週に1度くらいなつの実家に顔を出していますが(車で5分くらいのご近所さんです)、息子も娘もおじいちゃん・おばあちゃんにすっかり慣れました。
実家では2人ともしきりに自分の靴下を持って来たり、靴を指差したり(きっと「履けるよー!」「履こうよー!」と言ってるんだと思う)を繰り返し、手をひいてもらいながら、ご機嫌で外に出ていきます。
息子。
後ろ姿はすっかり、男の子だなぁと思います。好奇心旺盛。
娘。
おすまししてることが多いけど、気も強いしっかり者。慎重派。
最近はしょっちゅうモノの取り合い&ケンカをしたり、急に機嫌を悪くしたり、夜も布団の上で遊びまくってなかなか寝なくなったり、大変なこともたくさんあります。が、それ以上に親子でどんどんコミュニケーションが取れるようになってきたので、楽しさが優ってるのが今の正直なところ。
それはなつも一緒らしく「今が一番楽しい」ということを、よく言うようになりました。
感染力の高い幼児の病気に親2人もノックアウト、、、なんてこともありましたが(これはほんとキツい)、それでも何とか気合いで早めの復活を成し遂げ、忙しい4月を乗り切ったなぁ〜というこの頃です。
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今回、少し連休中にはふさわしくないかなぁと思いつつ、「この毎日が、ずっと続かないと思ったら。」というタイトルにしてみました。
前回僕がブログを書いたのは2月末ですが、3月半ば〜4月にかけて、いくつか印象的な記事に出会ったので、そのことに今日はちょっと触れてみます。
1つ目は、震災のときにTwitterで流れてきた岩手日報のこちらのサイト。
「最後だと分かっていたなら」という詩は、もしかしたら読むのもつらくなる人もいるだろうな、、、という気もしますが、日々を愛する家族と過ごせる幸せがものすごく刺さりました。読みながら、泣きました。
2つ目は、写真家の幡野広志さんが、がんと闘いながら、残された時間で家族に何を伝えたいかを書かれたインタビュー記事。
こそだてハックと、buzzfeedでの記事を知人がシェアしていて、知りました。切なすぎて言葉にならなかったけど、僕もすぐになつにシェア。その日は大阪に行っていたのですが、仕事が終わったらすぐ家路に着いたのを思い出します。
3つ目は、期間限定で購読していたNewsPicksの記事で、Jリーグの村井チェアマンの連載インタビュー。Jリーグは好きなので村井さんの手腕にはすごく注目していて、楽しく読んでいました。
そして#11で突然、2歳で息子さんを突然死で亡くされた話が出てきます。(すみません、有料記事です。)
そこでの出来事を、最終話手前の#20で振り返ったときの言葉が忘れませんでした。
少しだけ抜粋させてもらいます。 Jリーグのチェアマンを引き受ける前、アジアで仕事をされていたときの話。
そうしたことがずっと続いて、アジアでの経験につながるわけです。かの地では、もう人付き合いが下手だとか苦手だとか言っていられませんでした。自分を防御しようとするそういう私の思いを、カンナで全部削られていくような感じがしましたね。人とコミュニケートできないんじゃないかという自分の弱みを見せないように計算して動いても駄目。とにかく人にぶつからなきゃ何も始まらない。深く考えずに自分らしくいけばいいんだ。そんなふうに思えるようになりました。アジアでそうやって人と交わっていたとき、実は私が28歳のときに2歳で死んだ息子の笑顔を思い出しました。計算高くない、天真爛漫な笑顔がやっぱり美しかったなって。アジア人なんて皆、そうなんですよ。悔しければ怒って叫び、うれしければ大笑いしたり。「あ、そういうのが経営者としての魅力になっていくんだな」と。
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偶然こうした記事に続けて触れる中で、自分が息子や娘といま一緒にいられるのも、いつどうなるか分からないんだなぁということを、3月からずっと考えていました。
忙しい毎日の中でつい流してしまうこと、本当にたくさんあります。子育てにしたっって、全部が全部、フルパワーで向き合うのは正直難しいです。というか無理。。。
ただ自分たちの毎日がずっと続かないかもしれない、という覚悟をちょっとでもしていくことは心掛けようかな、と思っていて。
いつ何が起こっても、後悔しないように。
自分にだけはそんなことは起こらない、ってどこかで思ってしまいがちです。
でもこういう話に触れることが最近は増えて(だから僕はインターネットが好きなのですが)、記事を読めば読むほど、自分に起こらない絶対の理由は一切ないな、と感じます。ほんとに。
だから僕は今はただ毎日、朝と夜だけでも、息子と娘に会えることに感謝するようにしていて。
別にきれいごとじゃなくて、ふつうに思うし、精神衛生上もすごく良い。自分が安定するのがわかります。その瞬間だけでも、ちょっと優しくなれます。
GWにふさわしい話題とは思えなかったけど、忘れないうちに、今回どうしても書いておきたくて、ここに書きました。
書いてちょっとすっきりした。
むにゃむにゃと眠る寝顔を見ながら。
おやすみ〜、今日もありがとう。
また明日。
まさ